「新川と宇喜田川 運河の時代を歩く」レポート


東京散歩革命シリーズ第6回(2015/07/12)は、宇喜田川と新川を歩きました。


新川は船堀川の流路を一部利用した運河で、江戸時代から水運で栄えました。その痕跡をたどってみたいと思います。

※画像は下見時のものが大半です。



西葛西駅から十八軒川跡の街路を行船公園へと向かいます。行船(ぎょうせん)公園はこの像になっている田中源氏の寄付によって、周囲が宅地化するよりも早く公園となったもの。隣接の宇喜田公園とあわせるとかなりの規模です。「行船」は田中氏の屋号とのこと。江戸川区は多くの公園や緑道を抱えていますが、昔から公園造成に熱心だったのでしょうか。

法蓮寺川の分岐もこの公園の近く。水路の多かった場所です。

この先の宇喜田川についてはこちらの記事をご覧ください。



宇喜田川から北へ、このポンプ所と第一三共の間の通路を抜けると、新川西水門。すでに船は入ることができない構造で、川も少し南へ折れています。

シンボルとして火の見櫓が建設されました。土日は時間は限られますが中に入れます。隣のコンクリートの遺構が旧水門です。


時間が少しだけ過ぎていたので中へ行くのは諦めていましたが、参加者の方が交渉して少しだけ登ることが出来ました(係の方、ありがとうございました)。


 ここから、新川の北岸を中心に散策です。

このあたりの特徴は何と言っても路地。とにかく狭い路地が多いのです。


この路地の多さが、港町の特徴に類似しています。

川の堤防の高さがあるため、段差があるのも特徴です。
下の路地はクランクでそれを越えています。


宇喜田川を含め、小さな水神社もたくさんあります。


このあたりの路地のほとんどは都内によくある暗渠化した水路ではなく、純然たる宅地間の通路として明治の地租改正時から存在するからこそ、このように家々が面している路地が多数あるのだと推測できます。新川沿いには江戸期から家々が並んでいたようです。





かつては養魚場が多かった地域でもあり、電柱の路線名も「養魚」。木の電柱も残されていました。


猫にもたくさん出くわします。これも港っぽいところですね。


一方、細い水路跡はあまりはっきりとは残っていません。運河である新川に直接繋がる水路は少なく、周囲を用水が走っていたようです。下の写真は貴重な蓋暗渠ですがとても狭いですね。これも新川ではなく反対方向へ流れていたものと思われます。


路地は基本的に運河と通りの間を結ぶだけですが、こんな交差点のある路地もあります。東京でここまで自然発生的な路地がある場所も珍しいのでは。


火の見櫓と同じく区によって整備された新川さくら館で休憩。お土産も売られていました。



新川(船堀川)の元々の流路、古川へ。日本で最初の親水公園でもあります。最近の親水公園よりもやや鬱蒼としています。



この散策では港町らしい屋根形状の建物がいくつか見られました。銅製の樋も。


いよいよ新川の東端部へ。新川口と呼ばれ、ちょっとした生活商業地があります。新川口の橋は内陸側に曲がった位置にありますがこれは新道で、江戸川寄りのやや広い道が旧道です。


最後の路地を抜けて階段を登れば旧江戸川の堤防。


妙見島の北端、月島食品も見えます。


新川東水門はまだ稼働していて、ほんのすこしだけの距離が船だまりとして利用されています。ただしこれ以上は新川には入れません。船宿も何軒かあります。


ということで、ここで一応解散。といってもバスでさっさと帰るのはちょっともったいないので、長島川跡を通って葛西駅へと歩きました。私もあまり歩いたことがなかったので・・・。


おまけ。旧江戸川と長島川の分岐点には、橋がしっかり残っていました(千種橋)。




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