「地味だけど長い道」レポート

東京散歩革命シリーズ「地味だけど長い道」
実施日 2016年5月28日(土)

この回はとてもシンプルなタイトルです。
少し古い地図で道なりに長く辿れる、しかし特に名称もなく、
非常に地味な道を追ってみようという(普通の街歩きに近い)企画です。
以前、DPZ投稿用にそんな記事を書いたことがあり、その後発的企画でもあります。

今回は石川台から恵比寿までを結ぶ道を、
寄り道しながら踏破していきます。

それではレポートを御覧ください。

※例によって、写真は下見時のものを含みます。

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スタートの石川台駅。池上線の古き良き駅のひとつ。まずはデモンストレーション的に、駅前の希望が丘商店街を一回りした。

「石川台」「希望が丘」とは言うものの、駅前は完全に呑川沿いの低地で、2本の水路跡が横切っている。

本当に高台となる部分には雪ヶ谷八幡神社がある。700年代に建立されたとも言われる。

 駅前の建物はなかなかレトロで、特にこのあたりは前面の造りが特徴的。


中原街道に出たところ。NTTの境界杭と境界プレート。この先が本当のスタート地点。

東京工業大学敷地内にある出穂山(でぼやま)稲荷大明神。道路側からは正面は見えない。出穂山はこのあたりの旧地名。

大学西側にあるのが石川神社。お社は小さいが木々がなかなかに風格あり。

神社の奥の小径は、滑るくらいに落ち葉で埋まっている。

大岡山南口商店街。古い道には、さまざまな年代の古い建物も残っている。

商店街の片隅に赤松稲荷神社がある。由来不明。

大岡山駅の賑やかな商店街を過ぎて、東側の清水窪に寄り道。これは清水窪に隣接する妙徳稲荷神社。人によってはかがまないと参拝できない、小さな神社だ。

こちらが清水窪の弁天池。その他いくつかのお社も並んでいる。この水は洗足池に流れていき、さらに洗足流れなどと称されて呑川へと合流する。

環七・南交差点のセブンイレブンで休憩。その後立会川の谷へと坂を下る。写真は、これも道の少しだけ外れにある、地味で地味でたまらない水路跡。立会川の水源であった流れのひとつだ。

ちょっとわがままを言って最上流部と思われる地点まで行った。2つの境界プレートが水路幅だろうか。1尺幅?

水路跡のすぐ北にある高木神社。ここもなかなか鬱蒼としている。元は南交差点付近にあったという、天明8(1788)年と刻まれている道標がある。

寄り道しようか迷ったがせっかくなので、碑文谷八幡宮へ。このあたりとしてはかなり敷地が広い神社だが、ここもなかなか地味だと思う。人もあまりいない。碑文谷の由来ともいわれる「碑文石」が脇のほうに置かれている。

原町で北へカクンとカーブする。今は四つ角にしか見えないが。
そして円融寺に到達。写真の釈迦堂は室町時代初期の建築とされ、国指定重要文化財であり東京23区内で最も古い建造物であるとされる。その割に地味であるし無防備だ。円融寺はいろいろおもしろいし近辺に古い建物も多いのだが、交通の便がやや悪いということもあり中を歩いたのは私も実はこれが初めてだった。

こちらも立会川の水源のひとつ・清水池公園(昭和10年開園)に寄り道。子供たちや釣り人でなかなか賑わっていた。そしてアオサギがいた。

残念ながら目黒通りの両側だけは区画が整備されていて本来の道の流れは辿れないが、そのすぐ先には再び石仏群がある。無造作に置かれていて、特に説明もないが古い道筋にはよくある光景。

品川用水跡の道と谷戸前川上流の川跡を横切り、目黒区役所跡地を過ぎ、次第に恵比寿に近づいていく。駒沢通りとの合流点にある、さわら庚申と道標(案内板があるが掠れていてあまり読めない)。ここからは駒沢通りと並走する。

駒沢通りというとちょっと新しそうなイメージかもしれないが、名物的な看板建築なんかもある。

祐天寺に到着。きちっと整ったお寺という感じ。ちょうど工事中であったため、ほとんど見ずに退散。○○寺という駅名・地名でもお寺自体がもうないという場合があるが、祐天寺はちゃんとある。

祐天寺のもう少し北にある上目黒天祖神社。ここも木々に囲まれていて雰囲気がある(参道が駐車場化しているのは置いといて)。このあたりの伊勢森と呼ばれる地域は蛇崩川の支流のひとつがあったところ。

駒沢通り・目黒区役所(旧千代田生命保険本社ビル)近くの庚申塔は総石造り。ビルの建築が村野藤吾によるものと教えていただく。

目黒川・皀樹橋を渡り、最後の難所・別所坂を登る。ここの角度はかなりのもの。

ここを通るたびにいつも気になる石。ここまで石仏ラッシュだったので、古い石はなんでもあやしく見える。

坂上には庚申塔が集められている。本当に石仏ラッシュ。もう少し詳しい解説がほしい。この付近には地下に新富士遺跡というのもあるそうだが、埋め戻されているということでもったいないことである。

馬頭観世音。いつも反射していてよくわからないが。このあたりを観音坂と呼ぶ。

恵比寿の低地に降りてきたところ、原町住宅の角にある最後の石仏。土台のコンクリートやお堂も古い感じで良い。

恵比寿南三丁目に出るこの部分が終点となる。こちら側から歩いても良かったかもしれない。

この「長い道」は別所坂こそきついものの、基本的に呑川と支流の間の高台や、その他の小川の源流部に近い部分をうまく抜けている。そんな盤石な場所には神社や寺院が集まっており、道の分岐も多く石仏がそこかしこに見られる。また(駒沢通りから恵比寿付近を除き)古い道特有の「2車線弱」幅を維持している区間が多い。かつての人通り・車通りを思わせる古い商店も多数見られる。通して歩けばちょっとした旅の気分が味わえると思う。

一方、この道にこれという決定的な名前が特に無いということからもわかるが、まったくと言っていいほど地域的な繋がりはなく、今となっては大通りの流れが違うこともあって「石川台」と「恵比寿」は少しも頭の中で連結しない。もしこの古道をそのまま拡幅して幹線道路ができたり、あるいは鉄道がこれに沿って敷設されていたら・・・と想像するのもまた面白い。


企画・製作・執筆 志歌寿ケイト

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