実施日 2016年4月24日(日)
※このページはその2です。その1はこちらです。
また、写真は下見の時のものが大半です。
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小谷戸という谷に降りる。ここらへんは住んでいた頃はほとんど行かなかった。
ここでは調整池に降りることができる。最近では珍しい。
どうでもいいが、八王子は町名こそ整理されてはいるが、地番地域が多い。
JR片倉駅寄り、白山神社を囲むような水路は兵衛川のごく短い支流。
なかなかに立派な蓋暗渠は慈眼寺の境内地に突っ込んでいくもので、一番奥がどうなっているのかはよく知らない。
私が好きなのが上記の下流側にある、この金網で囲まれたまっすぐな水路。奥に桜があるのもまた良し。
そして、その脇の水神。このあたりは石仏が多い。これらの支流があるあたりを釜貫と呼ぶ。
兵衛川に直接注ぐ脇水路のひとつ。これが見つけられるかが暗渠捜索者のレベルを分ける、みたいな。
国道16号旧道の歩道橋から。車石という旧小字があり、そこへの流れ。かなり立派な水路と言える。小河川と言うべきか。先程の打越町もそうだが、山(山林)と宅地がハッキリしているのもこの地域の特徴である。谷沿いのわずかな平地に宅地を拓いているのであり、まさに谷戸なのだ。
支流に戻る。見づらいが、奥が国道で、国道脇の排水路が合流しているほか、手前も合流である。このあたりの水路は意外と錯綜している。
水路&国道脇の地蔵。歩道を塞ぐような無防備な位置にあるため、けっこうヒヤヒヤする。
この水路は山の端を流れていく。ここでも梁つきのコンクリート張り。
これは車石の西側水路。丸石積みも水路には多い。
しだれ桜が良い(下見時のみ)。ここだけ見ると都市的な景観だが、すぐ背後に山が迫っている。
国道下にある庚申供養塔。これは住んでいる時は気づかなかった。というほど、当時は国道沿いを歩いてはいないのだが。
こう見ると谷底ではなく山の端、つまり逆に言えば耕地の端を流れているのがわかる。都市化でこうなったのではなく、古くから谷戸での耕作のためにこのような流路になっていたのだと思う。
鴨やカワセミもよく見かける。
この石塔はずっと謎だったのだが、たまたま草刈りされていて何と書かれているか判明した。高福寺領まで読める。八王子事典によれば、明治5年に慈眼寺に併合された寺である。
車石会館(自治会館)裏手。入っていいのか明記されてなかったので下見の時だけ行ったが、ここが一番水面の近くまで行ける。
この流れも中途半端にここで一旦終わってしまう。唐突に終わるにしてはかなり太い。
その先で盛り土されたバス通りを越えると、谷の地形自体はしばらく続いており、金網に囲まれた排水路が片倉台の住宅間に現れる。片倉高校側にも谷筋や短い開渠があるが入れない。
ハイライトは上流側から、只沼と呼ばれる地域へと続く谷戸田。狭い坂を降りていくと耕作地が現れるここは、かなり気に入っている。
以前はあの住宅もなくて、もう少し耕作されていたのだが・・・。ここでは反対側にも水路があったようで、それが車石の流れに繋がっている。土地境界的にはこちら側から分岐していたようにも見えるのだが今はそれらしい流れはない。
現役の水路と耕地であり、なかなかワイルドさを残している。ただし住宅前だけは整備され暗渠化してしまった。
手作り的な構造が良い味を出している。
緑化のようなそうでないような、面白い水路である。このまま蓋がかかり、兵衛川へと注ぐ。これでようやく全行程を終了した。距離が長め(約13km)で、山の上り下りもあって少し厳しいルート選択だったかもしれない。都市部の距離感覚とはやはりちょっと異なる。
この日は片倉駅・京王片倉駅で解散とした。
宅地からの距離が近いところに自然があり、それゆえに水路も多く、しかも行き止まりが少なくルートに自由がきくとあって、少しの散策で冒険気分が味わえるこの地域は、やはり散策意欲が湧きやすい。そんなことを再認識できた。個々のポイントや店ではなく「街の構造」がそうさせるという面は確実にあると思う。
※レポートその1はこちらです。
宅地からの距離が近いところに自然があり、それゆえに水路も多く、しかも行き止まりが少なくルートに自由がきくとあって、少しの散策で冒険気分が味わえるこの地域は、やはり散策意欲が湧きやすい。そんなことを再認識できた。個々のポイントや店ではなく「街の構造」がそうさせるという面は確実にあると思う。
※レポートその1はこちらです。