東京散歩革命シリーズ「散策家と歩く水路跡 葛飾区編」レポートその2
実施日 2017年11月26日(日)
その1(堀切) その2(宝町・立石) その3(奥戸・青戸)
その1の続きです。写真は下見時のものが大半です。
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続いて宝町地域へ向かう。
その1でも書いたがこのあたりは猫が多く、下見と合わせると20匹は見たのではないかと思う。同じ猫もいただろうけど。
宝町のこの暗渠路地に入ってみる。左が車道で、歩道だけが分離して路地になるパターンである。
その先には、暗渠の三叉路がある。T字や道路脇ならばさほど珍しくないが、この幅と角度はなかなかお目にかかれないかもしれない。ただしこんな幅でも、水路敷だけでなく実は道路敷または堤塘敷(と思しき無地番地)を含んでいる場合が多い。
歩道が暗渠には違いないが、この名称不明のお社の裏手の空間も水路か道路ではないだろうか。
再び住宅内の水路跡へ。ここは幅が広いこともあり、半ば物置化している。
こちらはやや幅広の暗渠三叉路。意図しているわけではないだろうが、蓋が意匠のようにも見えてくる。
左手はお花茶屋駅方面へ繋がるが今回は右へ。
特に紹介したかった風景がここ。あまりにも東京らしくない、畑沿いの暗渠。先程までの水路敷と違い、とても明るい。
耕地整理もされていない地域で水路の両側とも畑というのは、東京ではもうかなり珍しいのではないか。
ということで再処理三叉路に戻り、宝町では水路敷だけを歩いて小回りに一周することができた。
曳舟川へ出た。ここは親水公園化されているが、水はない。横断もしづらく、実はあまり好きではない。トイレがあるため少し休憩。前半でだいぶ時間を消費してしまった。日が短い時期なので少し焦る。
暗渠沿いの廃公園(マンションの自主管理公園と思われる)の怖い遊具。こういうのも街歩き的には楽しい。
水戸街道沿いに、わずかに蓋暗渠が。葛飾区役所方面への水路だが、けっこう幅があったのだと気付かされる。
ここから立石方面は戦前に耕地整理が済んでいる地域。よって、水路跡はすべて直線。ここも水路の十字路だったところ。一部は通路ではなく道路化している。
またも交差点。緑道的に整備しているものの、特に名前もなく「ただ存在している」というのが、やはり葛飾区らしい。
立石駅に近くなり、水路もややカクカクと折れる。水路敷の歩道が切れて、道路の反対へ渡る。初心者にも追いやすい。それはそうと、葛飾区はトタン率もなかなか高い。私の出身の名古屋ほどではないが・・・。
京成立石駅近くでまっすぐな水道路と交差。江戸川上水町村組合の右書き金属蓋(泥吐室)が2枚ある。南葛飾郡・北豊島郡などの12町村に給水していたという。
立石駅南、商店街を横断するこの街路が地味ながらも耕地整理されたまっすぐな水路の跡。北側の旧梅田村地域を除き、立石駅前が全体として耕地整理済にしてはごちゃごちゃしているのは、すでに戦前に宅地化し(おそらく今の土地改良などより大きく地主が分かれていた)土地を分筆しまくったからだろうと思う。推測だけど。
水路跡とは関係ないがせっかくなので、再開発やらで店が抜け始めている立石デパート商店会をちょっと拝ませてもらう。立石にそこまで思い入れはないし好みというわけではないのだけど、今の東京では特異な場所であるのは確か。
※配布地図内で東立石4丁目辺り(歩いてないですが)の水路敷の作図に数本抜けがありました。ごめんなさい。
その3(奥戸・青戸)に続きます。
企画・製作・執筆 志歌寿ケイト
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