東京散歩革命シリーズ散策会Vol.13は「城南五山に登頂する 島津山/池田山/花房山/御殿山/八ツ山」というタイトルで行いました。品川駅から、各山を経て目黒駅へ至るルートです。
品川駅-五反田駅周辺地域は散策の見どころがかなり豊富であり、町の観察の切り口もいろいろ考えられるのですが、今回は高級住宅地として名高い「城南五山」がどんな場所なのかすべて回ってみよう、というテーマを基本路線にしました。
城南五山はすべて、実際の現行町名ではありません。当日は通常の散策資料に加えて、どれくらい建物名に山の名がついているのかをマッピングしたものも付加しました。これについては他の地域のものも調査中ですので、いつか「東京ブランド地名名鑑」のような形でまとめられればと思います。
それでは写真レポートをご覧ください。
※2016年2月25日(土)実施。ただし写真はほぼ下見時のものです。
※歩行ルート中には私道が含まれると思われますが、侵入規制の表示のない道のみを選択しています。
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集合地点は品川駅港南口。グランドコモンズやインターシティといった再開発ビル群の通路を抜けて、まずは現在の「八ツ山」地区を目指す。
品川駅南、八ツ山東公園に隣接した豊川稲荷。なぜか現在はこのあたりの埋立地が「八ツ山」と呼ばれている。全然山ではない。本来の八ツ山は品川駅の西側だが江戸期に部分的に開削されてなくなってしまい、現在は海側の公共施設や道路が八ツ山を名乗っているために、名称がこちらへと移ってきていると思われる。公共施設が名乗ると大義名分としては充分という感じもある。
「北品川の古い家並み」は昭和62年にしながわ百景に選定されている(このあとの各地もだいたい百景に入っているので以降省略)。旧目黒川河口(=品川浦)沿いの一角だ。品川浦はのんびりとした風景が楽しめ、船溜まりとして活用されている。以前はここから南へ目黒川が伸びていたが、河川改修で現在の河道となり、戦後埋められて大半が宅地化している。
北品川橋の欄干は大正14年のもの。品川駅より南だが、北品川宿にあたるためにこの地域を現在も北品川と呼ぶ。
少しだけ旧東海道の商店街を歩き、西に折れて第一京浜を渡って御殿山地域へ進む。
一説には、「御殿山」は将軍家の鷹狩の休憩所等に使用されたという品川御殿(御殿山城)がこの辺りにあったことに由来すると言われる。その付近と思しき高台への階段を登ってみたが、特に何か表示があるわけではなかった(後で区の道路平面図を確認したが、ここはどうも私道のようだ)。郵政省宿舎があり、郵便局マークの境界杭が確認できる。ちょうど明治期の日比谷平左衛門邸跡にあたる土地だろうか。さらに以前は英国公使館だったという。
JR線路沿いの権現山公園に出る。桜がきれいな公園のひとつだ。
この権現山は城南五山の名称としては採用(?)されていない。建物名もひとつかふたつといった感じ。鉄道を造った際に向かい側の山と分断されたと書かれている。しかし現在は広さから言っても品川御殿があったとされるこちら側ではなく、分断された先に見える台地が御殿山の主体と言えるかもしれない。権現山を冠した建物が今後増えるかどうか、注視したい。
今回の裏テーマとも言えるのが「公開空地」。このあたりは再開発や土地転用が多く、それに伴って公開空地を定めてより大きな建物を建てたケースがたいへん多い。その利用の仕方や公開空地であることを示す表示板にも着目したい。もちろん、公開空地は歩くだけなら誰でもOK(そうでなければ認められない)なので散策路としても重要だ。
ここからは目黒川沿いの低地に一旦降りる。線路とマンションに囲まれた古い住宅地へ通じる、一応通っても良さそうな(あまり良くなさそうでもあるが)通路があるので利用させていただく。このあたりはなかなか歩いたことがある人はいないのではないかと思う。
山手通りがカクンと曲がる居木橋交差点に降りた。ここの公開空地(ONビル・MTビル)には歴史案内も書かれていて、実に良いことだと思う。大抵の公開空地の看板はただどこがその区域かを示すだけなのだ。ここは歩行者の抜け道としても大変有用。
清水稲荷を経て再び御殿山に登り、原美術館横へ至る。これは下見の時に発見したのだが、ちょうど工事中で塀がカットされていた。なんと煉瓦塀だ。目黒川沿いにはかつて煉瓦工場もあったようだ。
このあたりから西が御殿山では戸建住宅が多いところで、明治期から財界人などが住んだようだ。山の最高地点もこちら側にある。
これは通路にある公開空地の表示。ソニーの名もそろそろなくなってしまうのだろうか。御殿山の通りはかつては「ソニー通り」とも呼ばれていた。
大通りを渡り、かつての八ツ山地域に近づく。
ガーデンシティ品川御殿山の裏側のこの部分も公開空地。近道としては使いづらいためかあまり人がいるところを見たことはないが、ちょっと入りづらいくらいのほうがかえって管理の手間が省けるかもしれない。公開空地は誰でも入れるが、管理は土地所有者がやらなくてはならないのだ。
私はこの手前の「電機連合ソニー労働組合」の建物と年季の入った看板のほうに目が行ってしまう(写真なし)。
旧町名を冠した高輪南町児童公園。とりあえずここで少し休憩。これは遊具ではない。段差をすごい階段でやりすごすのだ。この段差がかつて八ツ山が削られたことに起因するものなのか、高輪南町は不自然な低地に位置している。八ツ山は江戸期には桜の名所だったが、後に埋立のための土をここから採取していたようだ。そこに開けた高輪南町の住宅地は早期に宅地化したせいかそんなに高級感はなく、ブランド化もしていない。
児童公園の東側にあるのが、高輪プリンセスガルテン。指揮者・宮城敬雄氏により1991 年に開業した商業施設で、ドイツの町並みが再現されているという小さな一角。
残されている八ツ山は南の三菱開東閣(非公開)と北の高輪プリンスホテル。そのプリンスホテル側の高台に登る。高架の向こうの再開発ビル群がよく見える。プリンスホテル南側街路の電柱にも八ツ山の名が確認できる。正しい命名と言える。
八ツ山と島津山の間には明確な谷(道場谷)があり、その谷の東側斜面の途中が品川区と港区の区界になっている。戦前から宅地化されている地域であるため、ここには古く狭い階段が多く残されている。そんな階段や路地もこの散策会の注目点のひとつだ。上の写真の階段は新しくなったが、以前は下の写真(2012年末頃)のような大谷石のボコボコした石段が並べられていた。通路として長らく利用されていることがわかる。
ちなみに谷底にも「島津山」の名前がついた集合住宅がいくつかある。全然山じゃない。いっそ「道場谷」でもいいんじゃないか、なかなか荘厳で。
この綺麗にカーブした階段も古いもの(少なくとも明治期からはある)で、私は東京の名階段の10指には入ると思っている。左の拡張部分が惜しい。
そして階段ファンにとっては有名なこちらの物件。ところどころ崩れそうな、山道かと思うようなこの通路も一応品川区の指定道路図には載っている。窓口確認が必要な道、とされてはいるが・・・。谷から登る古い階段部分は私道ではなく法定外公共物(里道)っぽい気がする(公図は見ていないので杭などから推測)。新築する時どうするんだろう。横須賀などの階段路地と同じような感じの特例があるのだろうか。
島津山に登る。旧島津邸(清泉女子大学)に由来する山で、高台には大変に高級なお宅が多いのだが、山の北端部に位置する寿昌寺周辺の路地だけは迷宮のような住宅地になっている。建て替える家の前だけ無理矢理4メートル確保したような境界の凸凹さ。地面の石畳(?)や階段や木々に「元は寺」っぽい感じがありありと残る。お寺の土地内の住宅、いいなあと思う。なんなら一度住みたい。以前は西側入口階段上の木陰に自販機があり、なお良い風景だった。※画像まずかったら消します。
裏側から見ると、やはり山っぽい。島津山は本当に山らしくて好きだ。家を買えるかというと、絶対に無理だけど。
五反田駅に降り、五反田公園横の遊歩道の坂を登る。急坂だが桜の時期には綺麗なところ。この上が池田山だ。
池田山の新名所と言えば「ねむの木の庭」。美智子皇后の生家・正田邸跡の土地にあるごく小さな庭園だが、よく整備されている。近くにインドネシア大使館(公邸が1936年築)とベラルーシ大使館がある。
池田山もまた充分に高級住宅街であるのだが、弱点は住所が「東五反田5丁目」になってしまうところ。町名も「池田山」にすればまた価値が出そうな気がする。どうせ五反田なんてのは大崎村の字にすぎなかったのだから(駅名として採用しなかったら消えてたでしょう)、西とか東とか冠してまでそんなに広範囲につけるべきではなかったのでは・・・。
池田家の庭だったという池田山公園。公開空地ばかりであまり大きい公園がない今回の行程の中では、ひときわ立派な公園だ。ここで休憩し、あとひと頑張り。
池田山公園から西へ進み首都高2号線をくぐると、タイ大使館。池田山の西側の崖の手前にあたる。福沢諭吉の養子・福沢桃介が所有する土地に建てられた濱口邸を基にしているという。航空写真では奥に庭園っぽいものも見えるが、外からではわからない。
先程の八ツ山と島津山の谷と異なり、この池田山を西へ降りる道はひとつもない(はず)。よって谷頭となる北側の三田用水跡の道まで出て、改めて谷へと下る道(烏久保、池ノ谷という旧字名が見られる)を下っていく。この谷の水路敷は現在も法定外公共物として残っているようで、都の下水道台帳図でも一部確認できる。
谷底にあたる水路敷に降りられる道も、案外少ない。この狭い路地がそのうちのひとつで、シートが掛かっている部分が水路敷。以前はシートもなかったのだが。この路地も私にとってはお気に入りの道。東西の高級住宅街との対比もまた面白いのだ。水路の西側には希望が丘公園という小公園があるが、全然丘ではないのも味わい深い。
城南五山歩き、最後は花房山に登る。やっと山手線が見えた。先程の谷底とを結ぶ階段、この写真の右手の自動車用の坂、南側のかなり急な坂(宣伝画像に使用)の3つの坂のみで下界と繋がっている。花房山は外交官・花房義質邸があったことにちなむというが、いまひとつその歴史がよくわからない。山の上の土地自体がかなり小さく、住める人は限られている。花房山を含んだ建物名もこの高台にのみ採用されていて、本当に希少性があるのはこの山だと言える。
東急目黒線が地下化した跡地に建つ、いかにも洋風な風景が楽しいスタジオEASEの横を通り、解散地点の目黒駅へ。お疲れ様でした。
ここまででだいたい11km強の道のり。それにしては大冒険だったのではないかと思う。細かい谷を横切るように移動したこともあり、高級住宅街から庶民的な雰囲気の一角、近代検索、秘密めいた階段路地や川跡、特徴的な土地境界など、一度では見きれないほどのスポットがあったように思う。江戸期にあらかた開発し尽した都心ではここまでいろいろ残っていないが、昭和初期までに開発されたこのような地域は新旧のバランスがちょうど良い。
このあと、CODE for 大江戸さんでも「プロ散策家と行く、品川パワースポットと桜の散策【大江戸散策紀行シリーズVol.1】」としてこのルートを半分ほど再利用した散策会を行い、幸い多くの方々にお越しいただけた。少しでもこの地域の魅力が伝われば良いと思う。Vol.2はたぶんないのだけれど・・・。
(レポートは2017/04/02記述)
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