電柱と雑草


 日本の主要道路では、電柱・電線の地中化がゆっくりとではあるが進んでいる。地中化の最大のメリットは、景観の向上にある。しかしすべての街路でこれを行うのはコストの面で無理があるだろう。

 そもそもすでに、電柱のある街に住む人が大半で、電柱が風景に馴染んでいるとも言える。日本中どこにでもあるのが当たり前で、「すごく邪魔だ」と思っている人はそんなに多くないのではないか。

 電柱や電線がなくなっても、日本の街はどこかすっきりしない。家屋や塀の造りに統一性がなく、店舗の看板の出し方もまちまちで、目が落ち着かない感じがする。道路のアスファルトの黒も圧迫感がある。でもこれらも、いまさらどうのこうのできるとは思えない。

 街が出来上がった後から「美とは何か」を調整するのは難しく、強い規制を加えたり多大な予算をかけたりしても、新たな不満を持つ人を生み出すことになる。

 では、日本で多くの人に共感してもらいやすい「美」の感覚とはなんだろうか。

 私が考えるに、それは「人工物が管理されている状態」ではないだろうか。街路や家の周りがきちんと清掃されている。植え込みや舗装の隙間の雑草がこまめに除去されている。壊れた看板・旗・テントは撤去するか、補修する。住めなくなった廃墟は取り壊す。外から見える庭は手入れする。不法投棄のゴミを何ヶ月もそのままにしない。どれも当然やったほうが良いことだが、できていない場所はすぐ見つかるのではないか。

 人が作ったものが荒れている、という状況は少なくとも美しくはない。崩壊や自然回帰における美は否定しないが、そんなに多くの人の共感は得られない。もし皆さんが自分の住む街の景観を良くしたいと願うのであれば、雑草を抜くことから始めてはどうだろうか。生活の場を日々手入れする心が、良い景観を育てるのだと思う。



(2012/08/30 志歌寿ケイト)



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